一章
「未来ある少年少女」
「……の、みなさん」
声。少し離れたところから聞こえる。張り上げた声。呼びかけのようだ。なんと言っているのだろう。はっきりと理解できなかった。距離の問題か? いや、きっとそうではない。
身体が揺れている。いや、揺すられている。ぼくは自分が横たわっていることに気がついた。
「おい」
別の声だ。男の声。
「そろそろ起きた方がいいっぽいぞ」
声は若かった。ぼくは目を閉じているようだ。ゆっくりと開く。身体を起こす。
視界は、ほとんどが白で満たされていた。部屋の床、壁、天井、それに、いま自分の目の前にいる少年の服。首を少し持ち上げる。彼の黒髪と周囲の風景とのコントラストが強烈だった。
「起きたか。おはよう」
ぼくは反射的におはようと返しかけたが、簡単には声が出なかった。出せそうではあるが、とても喉が乾いている。
「……ここは?」
やっと振り絞った声。目の前の彼にも届いたようだ。彼はぼくに合図するように周囲を見回した。
人、人、人。数十人はいるだろうか。みな、一様に白い服を着て座っている。そして、若い。少年や少女たちだ。ぼく自身の身体を見る。ぼくもまた同じように、白い、七分丈ほどの服を着せられていた。
ぼくは説明を求めるように、再び目の前の彼に視線を向けた。彼は振り返り、離れた場所を目で示した。
その先には、一人だけ立っている人物がいた。黒の礼装で目立っている。マスクとゴーグルをつけていて顔はわからなかったけれど、背格好からして大人の男性のように見えた。
「未来ある少年少女のみなさん。みなさん、お目覚めのようですね」
男性はぼくたちの方を見て、仰々しく叫んだ。
「そして……」
彼はぼくたちをぐるりと一覧し、付け加えた。
「未来ある自殺志願者のみなさん。わたしたちがあなた方の命を、救ってみせます」
自殺志願者のみなさん? たしかに彼はそう言った。ぼくもそのグループに含まれているというのか? ぼくが自殺を? そんなわけが……。
……いや、思い出せない。そもそも、ぼくはいったい誰なんだ。
名前は……覚えている。
アキサカソウヤ。けど、それだけだ。それ以外、自分自身に関することは思い出せない。
室内はざわついている。ぼくと同じような境遇の人はいるのだろうか。
前に立つ男が見計らったように言う。
「自己紹介がまだだったね。わたしはキリウ。この施設の代表をやっている。この施設と言われてもほとんどみんな忘れているだろうから簡単にだけ説明をしておこう」
キリウと名乗った男は、そう言って口を閉じ、ぼくたちの方を、一人一人見つめていった。まるで手慣れた教師のように、ぼくたちが言われたことを咀嚼する時間をつくっているようだった。
そのおかげでぼくも考えを働かせられた。
ほとんどみんな忘れている? 施設のことを? あるいはぼくのようにそれ以上のことを? おそらく後者だろう。周囲にいる他の少年少女たちは、戸惑いこそすれ、苛立ちのようなものは感じていないようだった。自分自身の記憶さえ確かなら、こんなふざけた態度の説明に怒りの一つも覚えそうなものだ。
「では、まずはきみたちとわたしたちとの関係から話そうか。コミュニケーションというのは全てそこから始まるからね」
ざわつきが収まるのを待ってからキリウは続けた。
「きみたちは患者だ。そして、わたしたちは医者だ。わたしたちはきみたちを救うためにここにいる。それは間違いのない事実だ。だからまずは安心してほしい」
キリウの声のトーンが強まる。みな、聞き入っていた。
「この場所は治療のための施設だ。ではきみたちはどんな病に冒されているのか。驚くことにこの病には専用の言葉が存在しないんだ。現代では大勢が罹患するというのに。それらしい言葉はいろいろあるんだけれどね。そこで我々は、自分の意志で死にたがるきみたちの症状を、自由な死者……フリーデッド症候群と名づけた」
なんだそれは。唐突な言葉に少し、馬鹿にされているように感じた。
「ここにはフリーデッド症候群のための救済手段が多様に用意されている。最後にもう一度繰り返そう。わたしたちはきみたちを救う。必ずだ」
キリウは、演説を終えて部屋を出て行った。すぐに入れ替わるようにして、数人、キリウと似た格好をした人々が入ってきた。彼らはあくまで事務的な態度でぼくたちに指示を出し始めた。この部屋を出て、どこかへ向かうらしい。
室内がにわかに騒がしくなった。近くにいる相手と話をしている者もいる。
その喧騒のなか、一人、目を引かれる存在があった。
虚空を見つめている少女。長い真っ直ぐな黒髪は、この部屋のどんな光も吸い込んでしまいそうなほどだった。そういえば、この部屋には窓がないな、といま気がついた。
少女が振り返った。ぼくの方を見ている。目が合った。
たしかにぼくの目を見て、少女は微笑んだ。